この3、40年位の間に、日本の製造業は中国や韓国への製造拠点の移転と技術支援を積極的に展開し、取り組んで来たものだった。
最大の理由は、それ迄、年々上昇し続けていた日本人の人件費コストの問題もあり、より安い生産コストと、さらには新規市場への展開を期待してのものであった。
また、一方では、その流れに付いていけない多くの小規模や零細事業者においては、それ迄の納入先、取引先というのを失い、大変な苦境を強いられた側面もあったようで、しばしば、そういった愚痴を耳にする機会もあったものである。
1990年代の前半辺り迄では、日本のGDP成長率は世界の中でもトップだったのであり、このペースで行けば、日本はやがてはアメリカに追いつき追い越し、21世紀は日本の世紀になるだろうとの著名な経済学者の予言、予想もあったものだった。
だが、この流れをアメリカが許すものではなく、特に、自動車やハイテク、半導体分野での激しい日本叩きの展開となり、やむを得ず、日本はアメリカへの自動車輸出の自主規制や工場をアメリカに移転しての現地生産に切り替えたり、また、日本の得意分野でもあった半導体製造の技術については隣の韓国企業への移転や技術支援と材料の供給という分業体制への変化の流れがあった。
中国へ向けての企業の進出と技術支援も然りである。
因みに、1995年の日本のGDPはアメリカの約800兆円についでの、世界2位の約600兆円であり、3位はドイツの約280兆円。中国は約80兆円であったが、それが、2020年の最新では、アメリカが約2300兆円、中国が約1600兆円、日本は550兆円といったところ。
つまりは、日本のGDPは30年位前からの下降やら横這いなのであり、大卒初任給にしても、30年前から殆ど変わりないのが現実である。
また、地方は過疎化で寂れて、若者が居なくなり、惨憺たる状況と言わざるを得ない様な現実もある。
その一方では、経済力の急進展を追い風にした軍事力にも急拡大を遂げてきた中国には脅かされ、韓国には貶められている様な現状がある。
これが、目先の利益だけに追われての安易な生産拠点の中国、韓国への企業の進出拡大による結果である。
只、昨今では、人件費コストのメリットも無くなり、また、様々なストレスに苛まれるようになってきた中国や韓国からの慌てての撤退や他国への移転を模索している企業が日を追って増加の流れにあるが、どうして、日本国内の地方活性化のためにも地方への展開を考えないのだろうかとの大きな疑問である。
そうすれば、地方も潤い、活性化されることで、若者の地方離れへのブレーキにもなり得ることだろう。
逆に、一極集中と地方の過疎化がこのままに進めば、国全体としての国力は弱まり、果ては、領土領海の防衛としても支障をきたすことになりかねないだろう。
相談でもあれば、お手伝いでもしたいものとも思ったり・・・。
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