(2021)

6月29日    
9月23日    
   
     
6月29日(火30年来の日本の停滞 Next

 この3、40年位の間に、日本の製造業は中国や韓国への製造拠点の移転と技術支援を積極的に展開し、取り組んで来たものだった。
最大の理由は、それ迄、年々上昇し続けていた日本人の人件費コストの問題もあり、より安い生産コストと、さらには新規市場への展開を期待してのものであった。 
また、一方では、その流れに付いていけない多くの小規模や零細事業者においては、それ迄の納入先、取引先というのを失い、大変な苦境を強いられた側面もあったようで、しばしば、そういった愚痴を耳にする機会もあったものである。

 1990年代の前半辺り迄では、日本のGDP成長率は世界の中でもトップだったのであり、このペースで行けば、日本はやがてはアメリカに追いつき追い越し、21世紀は日本の世紀になるだろうとの著名な経済学者の予言、予想もあったものだった。
だが、この流れをアメリカが許すものではなく、特に、自動車やハイテク、半導体分野での激しい日本叩きの展開となり、やむを得ず、日本はアメリカへの自動車輸出の自主規制や工場をアメリカに移転しての現地生産に切り替えたり、また、日本の得意分野でもあった半導体製造の技術については隣の韓国企業への移転や技術支援と材料の供給という分業体制への変化の流れがあった。
中国へ向けての企業の進出と技術支援も然りである。
 

 因みに、1995年の日本のGDPはアメリカの約800兆円についでの、世界2位の約600兆円であり、3位はドイツの約280兆円。中国は約80兆円であったが、それが、2020年の最新では、アメリカが約2300兆円、中国が約1600兆円、日本は550兆円といったところ。
 つまりは、
日本のGDPは30年位前からの下降やら横這いなのであり、大卒初任給にしても、30年前から殆ど変わりないのが現実である。
また、
地方は過疎化で寂れて、若者が居なくなり、惨憺たる状況と言わざるを得ない様な現実もある。 

 その一方では、経済力の急進展を追い風にした軍事力にも急拡大を遂げてきた中国には脅かされ、韓国には貶められている様な現状がある。 

 これが、目先の利益だけに追われての安易な生産拠点の中国、韓国への企業の進出拡大による結果である。 

 只、昨今では、人件費コストのメリットも無くなり、また、様々なストレスに苛まれるようになってきた中国や韓国からの慌てての撤退や他国への移転を模索している企業が日を追って増加の流れにあるが、どうして、日本国内の地方活性化のためにも地方への展開を考えないのだろうかとの大きな疑問である。 
そうすれば、地方も潤い、活性化されることで、若者の地方離れへのブレーキにもなり得ることだろう。
 逆に、一極集中と地方の過疎化がこのままに進めば、国全体としての国力は弱まり、果ては、領土領海の防衛としても支障をきたすことになりかねないだろう。


 相談でもあれば、お手伝いでもしたいものとも思ったり・・・。

9月23日(木) 時系列から読む新型コロナウィルス Next


 たまたまの偶然なタイミングであったのか、それとも、その裏には何か大きな背景があったのかどうかについては知る由もないのだが・・・。それにしても、との疑念の思いも湧いてくるのは否めない様な気がするところ。
 2年前の9月に、かの武漢市では、市内にある「武漢市ウィルス研究所(P4研究所)」からウィルスが漏れ出た事態を想定しての人民解放軍による演習訓練が実施された。
具体的には、例えば、空港での感染者の発見に伴う緊急事態の発令や迅速な救急対応等々も行われたようだ。この意味するところは何だったろうかとの思いも巡ってしまったりする。
ただ単に、日本でもたまには実施される災害に備えての防災訓練としての意味合いだけのものだったのか・・・。それが、たまたまの偶然なこのタイミングとなってしまっただけのことなのか・・・。
否、それとも何か、それ以上の意味合いも含まれていたのではないだろうかとの思いを巡ったり。
 それから、少しの間をおいたところでの、10月7日から24日にかけては、同P4研究所の警戒エリア一帯では携帯電話の通信記録の消失していたというトラブルが有り、また、同14日から19日にかけては携帯電話の電波そのものが遮断されていたとのこと。
これらは、単なる偶然な事故によるものなのか、どうなのか・・・。

 また、同月の18日から27日にかけての10日間において、日本人には余り耳に馴れないような大会だが、第7回世界軍人運動会と云うのが世界の109か国から約9,300人程の参加者が集い開催されたとのこと。
そして、その開催期間中にはフランスの5種競技での元オリンピックでの金メダリストだった選手やイタリアのフェンシングの選手など、何人かが熱を出したり、現在の新型コロナの症状に似た症状が出ていたそうで、帰国後には、さらに家族や友人等にも同様の症状が出ていたのでインフルエンザに罹ったのかなとは思われていたとのこと。

 さらに、翌11月から12月にかけての辺りからでは、新型の肺炎患者が武漢市内で次々に発見されるようになっていたようで、市内医療機関の医師仲間内では情報交換がなされ、チャットグループ内複数の同僚医師間では感染拡大へ向けた警告メッセージや防護服を着用しての感染防止策の必要性等々の情報交換もされていたようだ。
そしてさらに、重症急性呼吸器症候群(SARS)に似た病気が市内で広がっていることをソーシャルメディア上へいち早くの警鐘として上げた33歳の若き李文亮医師は警察に拘束され、当局からの隠蔽工作の中、閉じ込められ、事態は暗転した。
 そうした経緯を経て、当局政府が新型コロナウィルスの武漢市での発生を認め発表したのは年末の12月27日のことであった。つまり、最初の患者の発症が確認されたのは12月8日だった、発生源は武漢市内の海鮮市場でのコウモリから何とかかんとかと謂うような説明であった。

 年が明けての1月には李医師自身も新型コロナに感染し、2月7日に亡くなられた。
そして、その頃から以降での、概ね1年8ヶ月くらいを経過した今日では、既に、全世界での累計感染者数が2億3千万人を超え、死者数は473万数千人に至っている。
最大の米国での感染者数は、既に4千2百80万人を超え、死者数が約68万7千人。日本での感染者数では約169万人、死者数は約1万7千人余りに至っている。

 正直な処、当初段階では、まさか今日に至るまでもの長期間に及ぶこととは想像さえ付かなかったのだが、毎日の感染者数の発表には一喜一憂しながら、この処、国内での感染者数の推移としては、第5波のピークがほぼ収束に向かいつつある。

 そもそもの、中国武漢市での当初段階での経緯と対応には素朴な疑問が拭い去れない謎である。何故に、警察は若き李医師を拘束し、政府はひたすらに事態を隠蔽する必要性があっただろうかと・・・。

 加えて、もう一つの素朴な疑問もある。
つまりは、新規感染症等に向けてのワクチン開発というのには、多数の治験や安全性の確認等を経ての承認を経て世に出るには、通常では4、5年とかの数年を要すると言われていた筈なのが、何故に今回の新型コロナでは僅か半年程度の期間で中国とアメリカやイギリスでは提供が可能になっただろうかと疑問にも感じられる。
それなりに、当初からの感染者、被験者データが豊富だったからと言うことだろうか。
 日本の国内製薬メーカーにおいても来春迄での供給を目処に開発を頑張って戴いているようだが、早期の国内産の完成と治療薬の供給に期待したいものと思う。