(2014年)
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12月1日(月) 師走風

     
しんしんと 懐しみいる 師走風

 年内も余すところ丁度一か月。
振り返り見れば、この一年も随分と色んなこと、事件等があったものと思う。
果たして、人類に未来はあるのだろうかとの疑問をさえ感じてしまうのだが・・・。
自分の事はともかくも、せめて子供たちの代、否、その先の、その次の、その次の・・・迄でも何とか持ってもらいたいものとの願望は尽きないのだが・・・。

 この冬の冷え込みは、全国的にも例年にない程に速足での訪れの模様。
上記の一句は、かれこれ10年位前になるだろうか、ある会合の忘年会に向かう道中での透き通るような寒月を見上げながら、ふと浮かんだものだった。

12月31日(水) この一年に、世界に名を馳せた日本人たち。。。
 人は年輪を重ねるにつれ、一年の持ち時間を次第に短く感じてしまうものなのだろう。
ともあれ、2014年の一年間も今日で終わり・・・。
思えば、世界での諸々の出来事はさておいて、日本発での、一躍世界に名声を轟かせた人々の悲喜こもごもの表情が思い浮かんだりもする。。。
 開幕の1月にはスタップ細胞の発表で世界を驚かせた小保方晴子さん。若い女性で日本人初のノーベル賞候補になるのだろうかと騒がれての華やかな登場だった・・・。(-"-)
 引き続いての2月には、聴覚障害者でありながらクラシック音楽界での近年の活躍目覚ましく、数々の交響曲や名曲を発表しては日本のヴェートーベンとさえ持て囃されていた佐村河内守氏のゴーストライター問題。
それまでの、様々な写真や映像等でのご本人のイメージとはかけ離れた様な記者会見場での風貌は、まさかの代理人だろうかと思わされそうな変化が印象的だった。
 7月には、ど派手な号泣会見で世界の隅々にまで笑いを提供し、その名を轟かせた野々村元兵庫県議。
その後には、子供たちにさえ物真似されたりする程に知名度を上げられたようだ。
また、これを機にあちこちの幾つかの議会では政務調査費とやらの実態調査をした処、次から次と不明朗、不可解な使い方と云うのが際限なく溢れ出した模様であり、まぁ、野々村さんのケースと云うのはまさに象徴的な氷山の一角でもあり、彼の場合には要領が悪過ぎたということだったのだろう。。。
その後には、余り同種の調査追及の話題が出なくなってしまったのは、”危ないものには蓋”ということで、一般庶民からの関心を逸らされ、遠ざけられてしまったことなのだろう・・・。

 只、どちらかと云うと年の後半では、彗星のように登場しては世界を制したフィギュアスケートの羽入選手やテニスで大活躍の錦織選手・・・。青色LEDでノーベル物理学賞を受賞された赤崎、天野、中村の三博士達に見られた満顔の笑み。
 後半では日本人の汚名挽回(!?)とでも云った様な活躍だったろうかとも・・・。