(2014)

王国のこの良い便りは、あらゆる国民に対する証として
人の住む全地で述べ伝えられるでしょう。
それから終わりがくるのです。

                    (マタイ 24-14) 
        
4月15日    
4月20日    
5月7日    
     
4月15日(火) 二度あることは三度・・・。人類に未来はあるのだろうか・・・? Next

 幾千年の歴史経験を経て、知識としては古代人を遥かに凌ぐことは出来ても、所詮は左程の英知の進展も見られないのは人間の不完全さ故のことだろうか。古代からの同じレベルの悩み事や苦しみの数々から解放されることなく、21世紀の今日においてもなお、人類全体に及ぶ様な危機から解放されることもないのは何なる因果なものなのだろうかと。
究極の処、凡ての人類、生きとし生けるものに備わる利己的な欲望、本能の為せる災いなのだろうとは思うのだが・・・、そもそも、人は、いつ、どのようにこの地上に誕生し、何なる目的の故に脈々とその命を引き継ぎつつ生き続けているのだろう?
 例えば、地上の生命の誕生については大きく二つの説がある。
一方は、およそ137億年程前のビッグバンによって宇宙が誕生し、銀河系が形成され、その中での太陽系が生成され、さらには地球が誕生し、その地球上では、最初に海中においての微生物が誕生し、気の遠くなるような長期間を経てそれら微生物からの奇跡的な生命の進化を繰り返して現代の生物社会に至ったとされる最新現代科学上からの考察による説であり、他方では万物の創造者であられる神が宇宙を創造し、さらには数々の生きとし生けるもの、即ち人間をも創造されたとする説である。
一方は、天文学や考古学、生物学等々様々な現代科学における最新研究成果としての理論であり、一方では人知及ばぬところ、神のなせる業、即ち、宗教上での信仰心からの説と言えるもの。
其々、何れの説が正しい真理であるのかという疑問点については、それを正確に突き止めて理解し、妥協を排しての確信に至るには、3次元空間に生きる人間にとっては容易なことではない様に思える。
否、所詮はどこかでの妥協をしない限りは結論には至らない様にも思えるのだが・・・。

4月20日(日) 人類にとっての宗教とは・・・? Next
 宗教とは・・・。自らを生かすものであり、周囲を生かすもの。
即ち、日々働くことであり、人を愛することであり、自らの信念であり、一日一日を生きること。それら全てが宗教に通じるものであり、宗教生活であるとも云えるのだろうか。
 憎しみや怒りは生命の摩擦であり、摩擦は生命の浪費の様なものなのかも知れない・・・と、頭の中、理屈上では理解が出来ている様なものの、なかなか、本質的には達観及ばずと云った処だろうか。
人間、日々の営み上では、身辺身近な周りから国際社会に至るまで、無数の摩擦や憎しみや怒りが満ち溢れているのが現実社会でもあり、古今、洋の東西を問わない。
 究極の処、それらの摩擦から解放されるには人其々が周りへの感謝の気持ちを持ち合わせることに尽きるのではないかと・・・。
感謝の心を持つということは生命の潤滑油の様なものであり、そう云った人間社会へ向けての実現性となると、同様レベルでの理解と志向性を共有する人間同士の社会でない限りは非現実的な絵に描いた餅のようなもの。
 日々の仕事上では、お客様には感謝の気持ちで臨み、自ら生かされている周りにも感謝の気持ちを心掛けたいもの。これも一種の宗教かな・・・。
 
5月7日(水) 韓国客船沈没事故の悲惨 Next
 21世紀の入り口で起きた米国での同時多発テロ事件による世界貿易センタービルの衝撃的な崩壊事件に始まり、米国による対イラク、対アフガニスタンを始めとした世界各地での戦争や紛争、内戦、クーデター等々があり、また、各地での巨大地震やそれに引き続いての大津波による大災害等々の自然災害も限りがない様な現代社会・・・。
一体、この地球上の人類の運命には何が起こっているのだろうか、との疑問をさえ感じてしまう様な折に、TV画面に繰り返し映し出された先の韓国での客船沈没事故は大変に衝撃的で、悲惨極まりない重大事故であったと思う。
 済州島への修学旅行を楽しみにしていた300人以上の高校生たちを乗せた大型客船セウォル号は瞬時にして大きく傾き、次第に船体が沈没していく中、船内の乗船客に対しては「静かにして、その場を動かないように!」という内容の放送指示が再三に流れ、その間に、船長を始めとした殆どの乗員は無事に脱出してしまうというのだから、前代未聞の無責任さにもまた呆れたものであった。
高校生たちの撮ったビデオを視ていると、沈みゆく船の中では、或いは、まだ現実として受け止められないからか、まさか沈んでしまうとまでは思い及ばずだろうか、悲壮感や一部ではハシャイでいたりの情景が見受けられていた。
救難艇が到着した頃には、船内での生徒達もそのことには気付いていた様子があるものの、先の放送が繰り返される中での指示に従い、待機していたものなのだろう・・・。船長や船員たちが脱出を図り救助されてはいても、高校生を含めた殆どの乗船客が船外に出て助けを求める姿が見えないのだから、何という、あり得ない様な現実だろうかと我が目を疑う様な光景ではあった。
 健康で元気いっぱいだった高校生の若者たちが、周りを囲む多数の艦船や、世界に中継されるTV画面を通しては大勢に見守られる中、船とともに沈んでしまう行くのだから・・・。これほどの悲惨で残酷なことはない。
 一人の若い女性乗員は高校生たちにライフジャケットを配りながら・・・「あなたは、どうしてジャケットを付けないのか?」と高校生から問われた際に、「あなた達が逃げた後には私も逃げます。」と応えたという。
様々な無責任と目に余るいい加減さには呆れたり、大きな憤りを感じる中で、何という素晴らしい人がいたことだろうという感動と一縷の救いを感じたものではあるのだが・・・。身近な存在ではないものの、惜しい命が悔やまれてならない様な思いがする。ご冥福を祈りたい。