(2014)
      何故かと謂うと
        人間は不完全な存在だから・・・。
1月1日
1月26日
2月27日
1月1日(火) 2014年。日本と日本人、そして地球人類にとっての大事の予兆。(1) Next
 重要な局面での熟慮は必要なこと・・・。されど、如何に熟慮を重ねて導き出した結論であったとしても、結果的には、それが必ずしも正しい選択肢であるとは限らないし、逆に、誤った判断をしてしまうことさえ、しばしばあり得るのも悲しいかな人の常。何故ならば、所詮、人間は不完全な存在だからであり、その不完全さであるが故にこそ、人生上では様々な悲喜劇や幸不幸をも伴うものだろう。
 人は誰しも自らの後姿を見ることが出来ないものであり、随って、ある特定の立場に置かれた場合、その視野角範囲からのモノは見えても、客観的な立場や外から目線での評価となると、むしろ、死角に陥りやすいということであり、側からの擁護や支援も肝心なこと。
自らの人生に照らしてみても、大小様々な判断のミスや過ちというのは枚挙に暇がない様なものだが、人類の歴史を遡ってみても同様のことが云える様に思えるもの。
幾千年の殺戮、戦争を繰り返してきた処で、未だにその危機から解放されている訳でもないのだから、大して、英知が進展したとも云えないことなのだろう。
 20世紀序盤辺りでの、かつての日本の開戦へ向けての歩みの中での数々の判断や開戦後局面での判断等々においても然り。勿論、日本人に限らずとも人類は無数の大きな判断の誤りを重ね重ねてきたものだと思うのだが・・・。果たして、この2014年は、それ等の直面する様々な危機的な局面を乗り越えて明るい未来への手掛かりなり、感触なりでも得ることが出来るものかどうか・・・。残念ながらというか、悲観的な見通しとしてしか感じることが出来ないのが現実と云った処。
 人が何らかの信仰心を持つことは個人にとっては保証されるべき自由でもあり、他からどうのととやかく言われる筋のものではないだろう。
然しながら、人は一旦、公の立場、さらには、重大な責任を伴うべく公の立場での前提としては、それらの自由の保証は自ずと制限を伴うのは当然のことであり、押しての信念や信仰心では上述の誤った行動や判断の結論に至る可能性があるということは人類史を顧みても確かに検証できる処だろう。
 先の日本国総理の靖国参拝問題においては、一部の人や団体にとっては「よくぞ実行してくれた」との感謝感激の賞賛もあったであろうし、また、そういった行動に向けての嘆願や要請の陳情、或いは様々な圧力というのも少なからずかも知れないし、それらを拒むにも拒めない様な、門外漢からでは見えない部分での事情もそれなりにあってのことかも知れないとは察するのだが・・・。
只、「不戦の誓いをして来た」とは謂えども、国外からの視野で見ればそれは詭弁に過ぎないとしか見えないであろうし、所詮、人間は他人の頭の中までは見えないのだから行動への論理の正当化を通そうとした処で理解されるには到底無理があるのは当然のことであり、むしろ逆効果として日本を危機に陥れること、逆手に利用されることの方がはるかに大きいというのが現実問題であろう。
 心得おくべきは、日本国総理が靖国を参拝することを内心で一番期待し、喜んでいるのは誰かということである。
つまる処、それは、財源不足、財源難に喘ぐ何処かの国と違って、最優先、望み通りの膨らむ予算にほくそ笑み、勢いづく某国軍部であり、また、それらの結束により支えられることで、自らの政権安定とさらなる強化を図りたい国家指導者層である。さらには、抱える内政問題での突き上げを躱す上でも外敵としての日本の役割がますます重宝な存在として認識される某国大統領という現実を努々忘れてはならないだろう。

1月26日(日)  永遠の0 Next
 小6の娘を誘い、上映中の「永遠の0」を観た。
久々に心揺さぶられる感動に目頭が熱くなり、堪え難い様な思いがした。
父が他界してから、既に30年位を過ぎてしまったものだが、かつての学徒出陣で、海軍航空隊中尉として、終戦間近では特攻隊教官として若者を指導育成していて、自らの出撃直前に終戦を迎えたことで戦後に生きながらえたこと、かつての自分の立場や行為を悔いていたという様な話を時々の人づてにも聞いていたことがあり、それらを踏まえての父親の姿がオーバーラップするような感動でもあった。
横の席で一緒に観ていた娘も、溢れそうな涙を私に見られたくないと思い、必死に我慢していたということだった。

 映画館に出向く前に、今まで、見せたことのなかった娘にとっての祖父になる私の父の数枚の写真をみせて少しの説明を添えていたものだった。学徒出陣での出征時の写真・・・。

「凄い!カッコい〜い! お祖父ちゃんって、すっごくイケメンだったんだね?」
:「そうだね・・・!? 昔、お父さんが子供時代だった頃とかには、度々、そういう話は周りからも聞かされてたものだったけど・・・。まぁ、今でも、田舎に帰れば、昔を知るお年寄りの人達からは聞かされることがあるんだけどね・・・。」
「田舎では、その時代当時の5年生中学に進学する人は殆ど少なかったみたいだけど・・・。小学校を挙げての応援で進学を勧められたそうで、そして、中学卒業から、昔のメイセン(明治工業専門・・・)と言って今の九州工業大学になるけど、そこに進学し、その後には学徒出陣と言って、戦争に駆り出される様な時代だよ。その頃の話というのは、直接に父親本人から聞かされた訳じゃあないんだけど、周りの人とか、たまたま、昔の5年生中学でお祖父ちゃんの2、3年後輩だったという人がお父さんの中学時代の担任になったこともあったりして、たまには、授業中の話の中でも少しは昔の話が出たりして聞かされたことがあったんだよね。」、「それにしても・・・あと、1週間か10日位、戦争が終わるのが延びてたら、お祖父ちゃんは特攻で死んでたことだろうだから、お父さんもこの世にはいなかったことになるし、ミホもいなかったことになるよね?」
:「う〜ん。そうだよね。・・・だけど、お祖父ちゃんって、本当にかっこいいよね? 今の時代でも十分に通用してかっこいいと思うよ。」

※どうやら、娘は祖父の写真を始めて見て、すっかりの一目ぼれしてしまった様子だった。
 天界の祖父は、さぞかし目を細めて喜んでいることだろうか・・・。

2月27日(木) 2014年。日本と日本人、そして地球人類にとっての大事の予兆。(2) Next
 天変地異の出来事・・・。例えば、大規模な自然災害や事件等々においても概して云えることは、必ずや、そういった出来事の事前には多かれ少なかれ前兆というのは出ているもの。要は、それらの兆しを如何に、早めにキャッチし、善後策を練るかということに尽きるだろう。
 大型台風接近の様な自然災害についても云えることだが、人間社会の政治や体制の変化についても云えること。
例えば、北朝鮮問題についてであれば、もはや、現体制の崩壊は目前に迫っていると云えるだろうし、目下、その後に向けての影響力回復に向けての水面下での工作に追われる中国が、その直後にどう出るのか・・・、当の北朝鮮軍部がどういう動きに出るか・・・、というのがその後の流れを読む上での目先のポイントにはなるだろう。
 北朝鮮の現指導者金正恩氏の幾末については、その就任直後の頃から私の個人的な予想としては、時々の周囲にも話しても来た処ではあるものの、こうした公開の場での具体的な表現は控えるとしても、年内か間もなくの激変に至るのは、ほぼ違いないのではないか。予兆は余りに多く溢れている。