(2013年)
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3月5日(火) 似て非なるもの日本人と中国人(1)
 先月始めの日本華字紙・中文導報において、「日本に来て初めて知ったこと」と題した記事が掲載され、実際に日本での暮らしを経験した中国人が、中国とは大きく異なる日本の習慣や常識などを紹介した・・・との記事を目にした。
内容を裏返すと、その殆どは、日本人が初めて中国を訪れたり、或いは、生活を経験すれば逆に驚くことばかりとも言えるだろう。
 若かりし時代に初めての欧州をあちこち彷徨った機会では、然程に驚いたことと云っても、夜遅までなかなか太陽が沈まずに明るいということ、北極圏に入っては、8月半ば頃にしてみぞれ模様の天候に軽装で少々震えたという以外には、そんなに多くもなかったと思うのだが、こと中国に関してとなると、その度ごとに新たな発見やら驚きは枚挙に暇がない程であったと思う。
外見的には衣服の差異がなければ殆ど判別し難い様には思うのだが、中身が全く違うのが日本人と中国人、或いは、韓国人、北朝鮮人・・・といった処だろうか。
 一個人の性格形成の要因としては、先天的なものも勿論あるが、誕生以後の環境や経験等の後天的な要因というものの方が、むしろ、遥かに大きいとは言えるのだろう。
自然環境の他にも、地域社会での風習や伝統、歴史的な環境や経験もあるが、それらのバックグランド全てが異なるのだから、中国人と日本人とでの集団的な個性の傾向というのが大きく異なるのも必然的な結果とは言えるだろう。
 歴史的な経験の蓄積にそれらの因果を辿ってみると、例えば、いつ何時に、四方からの敵の侵入というリスクに備え、自国の安全を計り、敵対する周辺国を制して領土を広げるには、その敵対国王朝の一族諸共を滅ぼし、繰り返してきた中国3、4千年の歴史があり、一方では、ともあれ、帝を犯すべからざる神聖な存在として奉り、忠誠の規範を基軸に展開してきた日本歴史の流れがある。そう云った歴史的経験の違いの蓄積から集団的な個性としての国民性がDNAの中にも延々と引き継がれてきたことは大きな要因と言えるだろう。
 日本は、先の大戦の敗北を経験した時点で、「もう、金輪際、二度と戦争などを起こしてはならない」との観点から、「永遠に戦争の放棄」、「一切の武力の放棄」、「国際間の紛争事に武力を用いない」・・・等々、米国占領軍により作られた憲法をそのままに素直に受け入れ、決意を世界に向けて宣したものだった。もし、他国の全ても同様な認識を持ち、それで通用する現世であるのならば、何ら問題もなく理想的な理念であり、モラルであるし、自衛隊さえも不要な存在ということになる訳だが・・・、「羹に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)」といった印象がしないものでもない。現実には、相手あっての問題であり、必ずしも相手側の立場には通用しない次元の話でもある。
 国家、国家にとっての政府の意義とは・・・の、時の政府解釈の決まり言葉としては、「国民の生命と財産、領土を守る・・・」という説明になるが・・・、一方では、「言っても解らないのであれば、力ずくで解決を図るしかない」と云う発想構図の相手国の存在に対しては、果たして、その力ずくをどうかわし、或いは跳ね返し、守ることが可能なものなのかどうか・・・。理想と現実の矛盾の様にも思えるのだが・・・。

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3月11日(月) 天災は、忘れた頃にやってくる・・・
 東日本大震災からちょうど2年。その直前、前日、前夜までは家族の団欒で笑い声に包まれていた家庭も、一瞬にして何もかもが失われてしまい、テレビの画面上で何度も流れた映像では、正に、これが現実だろうかと、目を疑うほどにも凄まじく、悲惨な光景だった。如何に21世紀の科学文明を謳歌した処で、人は、ホンノ僅かな未来の自らの運命さえも把握管理することが出来ないもの。只、過去の体験からの反省点と改善点を見出して、来たるべくリスクの可能性に備える以外には手立てがない。次には何が来るのだろう・・・。「自分の歩みを導くことさえ、その人に属しているものではないのです」(エレミヤ 10-23)

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3月18日(月) 胡馬依北風 越鳥巣南枝 (胡馬は北風に依り、越鳥は南枝に巣くう)
 九州の郷里を離れてから、ちょうど、今日で46年。「光陰矢の如し」、「歳月は人を待たず」で、ほぼ半世紀近くにもなるかと思うと、ふとため息も・・・。
 戦後の炭鉱全盛時代に福岡の炭鉱の街で幼少期を過ごし、小学校に入る直前に父方実家天草の祖父母のもとに預けられ、そのままに農作業の手伝い傍らに過ごした様な少年時代。高校を卒業と同時に上京し、新聞店住込みからのスタートではあったが、よくよく波乱万丈の人生であったもの。
 30代初めに起業して以降では、ほぼ順風満帆に推移していたので、30代時には人生と家族の幸福としてもピークにあった様なものの、人の歩みは自らの管理下にはないということなのだろう。
 「見晴らしのいいところがあるから、ちょっと来てみないか・・・」と、創業時に誘い入れた20年来の(親友だと思い込んで100%の信を置いていた)相方Nと、その誘い入れのHの案内で崖の上に案内され、いきなり背後から家族諸共谷底に突き落とされた様な暗転は想定外の人災。元はと云えば、Nの熱心な説得に妥協してHを受け入れた判断の甘さは、いわば、当初からの予知できていた筈の誤算。
 そもそも、万事の不幸不運な結果の9割方は自らの不明の罪であることを考えると、全ての結果は受け入れるべく、自らの肥やしとなすべきことなのだろう。
 龍馬に、もう少しの警戒心と用心深さがあったなら・・・、幕末から維新にかけての流れもだいぶ変わったものになっていたものだろうかと、部分的には重なるような気がしないものでもない・・・。
 サタン支配下の現世では、得てして悪徳や狡猾の繁栄をも否めないものなのかも知れない。半分は、そう信じられる様な気もする。「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と。

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3月31日(日) ピアノ発表会(於戸塚フォーラム)
 例年にない程の桜の早咲きで、既に残り花も花吹雪の今日、戸塚フォー
ラムで子ども達のピアノ発表会を鑑賞した。
これまでに、ピアノを習ったことのない弟の方も、急遽、姉との連弾の部で出演することが決まり、初めてピアノに触ってから僅か1ヶ月での舞台デビューということに・・・。今月に入ってからの特訓の成果で何とか無事に役目を果たせたものだった。
姉の方は、3度目の発表会であったが、2年前の初舞台時からでは、何と発育成長したものかと感慨深い思いがした。