(2013年)
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2月11日(月)  日本側からの先制一撃が欲しい中国 Next
 過日の1月30日に沖縄県・尖閣諸島の北方120キロ付近海上で起きた、中国海軍艦船から自衛隊護衛艦へ向けての射撃用レーダー照射事件では、近辺海域と日中間の緊張が一段と高まった。
 昔の武士社会であれば、相手が一刀の鯉口を切り、柄に手をかけた瞬間・・・。西部劇であれば、銃を向けられ、撃鉄が引かれた瞬間・・・。つまりは、先に殺らねば殺られる・・・という極限の瞬間とも言える状況だろう。
ここで、相手側が発射ボタンを押すか、或いは、自動射撃モードにセットされていれば、照準を合わせられた側の航空機は確実に撃墜され、艦艇であれば大破を免れないのだから、照射を受けて警報音が鳴り響いた側の乗員としては背筋の凍る思いだったのではないだろうか。
もし、これが、例えば、米国艦船等への行為であれば、即座の反撃を受け、自ら先制の口実を与えることにもなりかねないので決して実行に移すことはないのだろうが、日本に対してであれば、絶対に反撃されることがないと踏んでの行為であり、敢えて、日本の反応や出方を試し、探りを入れる行為ではあったのだろうと思える。
 また一方では、とにかく、日本側からの先制の一撃が欲しい処でもあるのだろう。日本側からの先制を受けての反撃という形をとれば国際世論の反発も抑え易いし、乗じての勢いで尖閣を押さえるのに然程の時間を要しない。---作戦は既に十分に練られ、完成されているのは違いないだろう。
かつての日米開戦に際しても、とにかく、米国側としては、最初に日本側からの一撃をひたすらに期待し、日本の動きを探っていたものだった。力で相手側を制するには、大義名分が必要なのである。
 昨秋来の中国側の行動パターンを見ていると、かつての春秋戦国や三国志時代等々での数々の作戦・戦略の智恵というものが様々な局面でも多用引用されている様には思える。
諸葛亮、司馬懿、鳳統、孫子等々・・・。数多くの賢者にも相談したり意見を伺ったりしながらの戦略なのだろうか・・・。
されば、日本側では、誰に相談を求めれば良いものか・・・。日蓮
空海 聖徳太子 山本勘助 ・・・何となく、相談相手の人材の多様性という面では劣勢にある様にも思えるのだがどうしたものか・・・。(-_-;)
 似て非なるもの・・・。日本人と中国人や韓国人、北朝鮮人では外見的には殆ど似通っていて判別がつかないものだが、常識の感覚や感性、ものの考え方という"中身"では相当に異なるという理解をも含めて、先方の行動パターンと作戦の裏にあるもの、深層心理を分析、読むのが肝心なこと。
 日本は、元々が親日的であった台湾とは仲良くし、同諸島の周辺海域が古くから台湾漁民にとっての漁場であったことをも考慮して、漁業協定では可能な限りの譲歩と協力を惜しむべきではないと思う。それが、問題解決への一策にもなり得るのでは・・・。

2月15日(金)  森羅万象・・・始まりは 終わりの はじまり(1) Next
 今は昔。2000年の6月に金大中韓国大統領(当時)が初めて北朝鮮を訪問し、55年ぶりでの南北首脳による会談が実現したことは当時の最大級インパクトを伴ったニュースとして世界に駆け巡ったものだった。
つまり、今後は南北の和解と平和的な統一へ向けての前進に向かうだろうかとの雪解けムードへの期待感が世界に向けて広まった様な雰囲気でもあった。そして、勇断を奮って訪問に踏み切った金大中氏においては、後年、その行為が評価されノーベル平和賞の受賞にまで至ったものだった。
 そんな頃に、とある方からの初めての訪問を受け、その南北関係の歴史的な展開の話題をされた時に、「この問題は、そうそう先には進まないと思いますよ。」と応じた時の状況を良く覚えている。「何故ですか?」と問われたので、「否、金正日の性格ですよ。所詮、国家とは言っても・・・。個人であれ、国家であれ、同じようなものですよ。」と応じたものだった。
その際には大変に驚かれたような様子だった。その後も時々にはお会いする機会があり、多分に、10年近くが経った頃の機会に、「初めてさんにお会いした時の、『金正日の性格がどうのこうので、今後も南北問題は先には進まない』と言われた時の、さんの言葉が今も耳に残って忘れられないんですよ。色んな見方とか、専門家の分析とかはあるでしょうけれども・・・。金正日の性格がどうの・・・という様な話は初めて聞きました。」と言われたことがあった。
その場では、とっさのひと言で応じただけのことなれど、常日頃からの思いであったことは事実。
つまり、直感的には、このことは終わりの始まりなんじゃないのかな・・・くらいには感じていたものだった。
 最近では、滅多にお会いする機会もなくなったが、只、久しぶりにお会いしたりすると、その話題が出たりもするので、こちらでの想像を超えたインパクトではあった様だった。
 その内には、金大中さんもお亡くなりになり、一昨年の暮れには金正日氏も亡くなった。
今や、北は、ひたすらに破滅への道をムキになって邁進している様な、そして、空元気だけが虚しく感じられる様な昨今である。体制は年内まで持つのだろうか・・・。

2月20日(水)  森羅万象・・・始まりは 終わりの はじまり(2) Next
 過日の15日。ロシア南部チェリャビンスク州に爆発落下した隕石の映像は、まるで映画のワンシーンでも観ている様な衝撃的な映像だった。
爆発の衝撃波では街一帯の窓ガラスや工場の壁等が割れ落ちたりの被害や、負傷者も相当数出た模様だった。破片の一部は氷の湖に落下し、8m位の大穴が空いたという。
 ときとして、人は思い及ばぬ運不運に左右され、或いは、今回の一件では地球人類の運命すらも天運のみで左右され得るとの思いが過ぎったものだった。
もし、今回の隕石の大気圏突入前でのサイズが十数メートルではなくて、数百、或いは数キロ、数十キロのサイズだったとしたら・・・。加えて、落下地点が広大で人口密度の少ないロシアではなくて、東アジアの近辺だったとしたら・・・。もはや、尖閣どころの騒ぎではなくなっていたのかも知れない。
 遍く、モノゴトには始まりがあり、始まりがあれば必ずや終わりがあるのだが、果たして、今回の隕石は、何処で、いつ頃に誕生し、遥かなこの地球を目指して旅を続けていたものだろう?
或いは、旅の途中では他の天体との衝突があり、或いはそれを繰り返しつつ、その跳ね返りの破片のひとつが地球に向かっていたものだろうか・・・? 何れにせよ、計り知れない気の遠くなるような長旅を終えて地球にゴールしたものだろう。
 天空宇宙の彼方から地上人の日々の営みや争いごとを超巨大な望遠鏡で眺めるとすれば、人や国どうしのいざこざや、抱える様々な問題の総ては取るに足らない些細なものであり、人類の愚かさ、知恵の足りなさというのが手に取るように透けて見えるものかも知れないとは思うのだが・・・、
宇宙137億年の奥行は小生の微々たる想像力では皆目及ばない。

2月23日(土)  と夜の散歩みち(8) :小2、 :年齢不詳(忘却の彼方) Next
:「ねぇ、ねぇ。何でもいいから三国志の問題だしてよ。」
:「ウ〜ン・・・。もう、なかなか・・・。」
:「何でもいいから、早くだしてよ〜。今、何を出すか考えてるのっ?」
:「ウ〜ン。じゃあ、呉の国王孫権の兄と父親の名前は?」
:「ソンサクとソンケン!」  
*孫策、孫堅
:「ウ〜ン。当たりだね・・・。じゃあ、今度は、ちょっと難しいカモ・・・。
    孫策が弟の孫権や周りに言っていたことで、『国内の問題は○○に訊け。国外の問題
    は△△に訊け!』って言ってたんだけど、その○○と△△の処は誰と誰かな?」
:「それは、ロシュクとシュウユ」
:「ピンポーン。当たりだ ネ!」(^^)
:「だけど・・・、コクナイってナニ?」
:「エッ! コ、コクナイ? それは、その・・・。」 
*説明が難しい・・・(-_-;)

  ※夜の散歩に誘うと、毎回、必ず三国志の中からの出題を要求されるので、ネタ切れで・・・なかなか・・・。
   多少の重荷にもなっているような・・・。