(2012年)  
11月1日 11月13日
11月3日 11月17日
11月10日
 
11月1日(木)  中国湖南省「平和堂」の再オープンに向けた人たち Next
 過日に、TV Tokyo の番組「ガイアの夜明け」を視た。
去る9月15日に現地中国で起きた反日デモでは、湖南省で3店舗を展開する日本の百貨店「平和堂」が暴徒化した群衆の凄まじいまでの破壊略奪行為にあい、一時閉店を余儀なくされた。
以降、撤退か継続かの決断を含めた、再オープンに至るまでの45日間の苦悩を追ったドキュメンタリーであった。
中国政府の、理屈では通らぬも声を大にした尖閣主権主張の強引さも然ることながら、連日の暴徒化した反日デモ群衆のやりたい放題の光景を目の当たりにしては、流石に嫌気がさすというか、中国と中国人不信に至らざるを得ないとは思っていたものだった。
が、この店舗の荒れ果てた惨状に落胆し、憤りを覚えたのは日本人の経営者や現地社員のみならず、中国人の従業員達も同様であったようだ。日本人社長や社員たちと共に一丸となっての再起に向けた取組や、店舗の再オープン日に駆けつけた大勢の買い物客達の様子を見るに付け、やはり、暴徒の集団も全体の人口からすればホンノ一部の人たちだろうかとは思えた。
一連の暴動では平和堂に限らず、多くの日本企業や店舗等が大きな被害を受けた。中には撤退を決断したところも少なくないのかも知れないが・・・。ともあれ、平和堂さんの再開と今後の発展に向けての拍手をおくりたい。

 
11月3日(土)  小学校の「菊フェスティバル」 Next
 地元小学校では、毎年11月初旬に開催される恒例の「菊フェスティバル」が催された。
子供たちが育てていた菊の花の方は、一部を除いては昨年のよりも開花が遅れていたようだったが、ステージでの子供達の一生懸命な姿というのは、いつの時代にもいいものだ。
特に、合奏などでは高学年になるにつれて迫力もあり素晴らしいものだった。
来賓席には、春に離退任された先生方の姿もあり、閉会後に子供たちが駆け寄って挨拶をしたり、久しぶりの先生方との束の間の再会がお互いに嬉しそうで、心のふれあいというのが感じ取れて印象的な情景だった。
「時間があれば、もう少し話をしてみたかった。」との子供の言を聞いて思ったことは、教師の移動による離退任後の出来れば、1〜2年の内に1度くらいは「里帰り日」というようなもの、例えば、道徳の時間帯などに1時限だけでも設けてみるのはどうしたものだろうかとの思いが浮かんだものだった。全国の教育委員会においても検討してみるのは如何なものだろうかと。先ずは地元の市内からだろうか・・・。

 
11月10日(土)  5年ぶり大山の登山    Next
 5年ぶりに丹沢大山登山を実現した。コースは前回と同じくヤビツ峠からの往復。前回時には、2?歳だった長女と、まだ、3歳だった末の息子との3人で、今回は8歳(小2)になったその息子と姉(小5)との同じく3人組。子供たちは日々に力強く成長し、頼もしい限りも、自らは日々に衰えゆくのを実感。ともあれ、最高の天気に恵まれた一日であった。次回の機会があるならば、別季節に別ルートでのチャレンジを試みたい。


2007年11月3日   →

   2012年11月10日
 
11月13日(火)  前歯が・・・ Next
 朝、真新しい電動歯ブラシの初使用で、ウィーンと歯の内側に当てた途端に「カチッ」とか変な音がして洗面台に白いモノが口からポロリ。反射的に舌を当ててみると、右前歯の裏から一部が欠け落ちて前歯に隙間が・・・。音波ブラシのパワーが強過ぎるのか、それとも歯の老化で脆くなっていたのやら??
ともあれ、夜に、娘に、カクカクシカジカで・・・、と見せると「キャア〜ハハハハッ! オッカシ〜ィ! 岩崎弥太郎みたいじゃない!」っと、大笑いされてしまった。幕末の土佐郷士で若い頃の弥太郎・・・。親父の作った鳥籠を売り歩いていた極貧ヨレヨレの時代。彼の欠けてるのか汚れてるのか良く判らない様な格好の悪い前歯のイメージというのが即座に浮かんだ様だった。「ちょっと〜。幾らなんでも、その笑いはちょぃと、大げさだろうヨ」。なかなか、笑いの止まらない娘であった。
けど・・・、この屈託ない笑顔に支えられて日々を生きてこれた様な気もする。
(ちょいと困ったな。今月から来月にかけては、あちこち顔を出す機会がやたら多いし・・・、歯医者に行く暇も金も・・・(-_-;)。)

 
11月17日(土)  ふるさと祭り Next
 小学校PTAと地域との共催による恒例の「ふるさと祭り」が開催された。
昨年にも全く同じこの時期での開催で、よりによってと言うか、2年連続での雨。
ほぼ全国的な空模様なので致し方ないようなものの、前後の日々は好天なのだから皮肉なもの。それにしても・・・との思いも強かった。
只、昨年の場合には午後から夕刻にかけては更に悪天候が強まり、大変なドタバタに追い込まれてしまったが、それに比すれば、まだ穏やかで、雨足も2、3時間は遅れていたのが不幸中の幸いだった。