上有天堂、下有蘇杭

     稲山 悟空

 上海から南西方向に約200キロ。浙江省の省都、杭州(ハン・ヂョウ)は、山や湖、泉、庭園に囲まれた景勝の地としても知られる古都である。
13世紀にこの地を訪れたマルコポーロは、「世界で最も美しく華やかな土地」と書き残したという。
もっとも、さらに海を渡った東方には”ジパング”という黄金の国が在るとも書いた訳だから、果たしてどちらが一番なのか、否、或いは、半分は社交辞令としての強調もあったかどうかについては、今は知る術もないだろう。

 実は、今回の旅行の機会というのも私にとっては、全く予定外の突然のことであった。
夜の便で上海に着くと、「明日と明後日は一泊の旅行に出掛けるからね。早く起きて準備しといてね。」と、出迎えのミンからの通告であった。突然の未知の世界への旅行というのもまた、幾つになっても楽しみなものだとは思う。
 翌朝、6時過ぎ位には起きただろうか。身支度をしていると間もなく、ミンと親友のリンダがホテルの部屋まで迎えに来た。
私自身は、列車の時刻やこれから何処に行こうというのか等々、何らの事前情報を持ち合わせていないのだが、とにかく、「早く!急いで!急いで!」とせかされながら、ついには近くの上海駅まで3人で走って駆け込んだ。
ホテルの玄関先から駅までは、走って1分半位といったところだろうか。改札を入る頃には、場内アナウンスに続いての発車ベルが鳴り響いていた。ホームの階段を転げるように走り、息も絶え絶え辛うじて特急電車に飛び込んだ。間一髪。飛び乗ったのが早かったか、それとも電車の動き出しが早かったのか。滑り込みのセーフであった。
ここだけの恥ずかしい話ではあるのだが、実は、飛行機の機会にも似たような飛び乗り(!?)の体験というのは、これまでには何度かあった。辛くも乗り損なったことがないというのは、まぁ、不幸中の幸い(!?)といったようなところだろうか。
 ともあれ、中国大陸では初めての鉄道利用での旅行機会でもあった。
そう言えば、最近では、日本の代理店主催の旅行でも、”ビックリツアー”とかいったようなキャッチコピーで、参加者にとっては、出発の寸前まで行き先が不明というような企画がたまにはあるようだが、今回、私自身にとっても、まさに行き先不明のそのような旅であった。

 上海駅を離れてからしばらくの、車窓に流れ行くのどかな田園風景には、思わず、印象派の絵画でも眺めているような、心の安らぎを感じられるような美しさである。
 途中、事情は良く判らないものの、特急にしては、しばしばの一時停止や徐行運転を繰り返したりしていたようだったが、いつしかうとうととまどろんでいた。
 到着の予定時刻の方も少々遅れたようだったが、初めての杭州駅に着いたのは、上海の出発から約4時間位を経た午前11時頃であった。
駅前に出ると、タクシーや輪タク等々、営業の呼び込みも盛んで賑々しい。
中国の人々の活気と生活臭のようなものが直接肌に感じられるようである。
 私としては、ミンの案内でただあちこちをついて廻る気楽な立場であり、何処をどういう風にという算段もない訳だが、先ずは、なるべく良心的そうな人相のタクシー運転手を探してみる。それからが、値段の交渉という訳である。
いつもながら、値段の交渉というのは、一応私の役だが、ミンの通訳を介してのことである。
あちこちを巡るには、勿論バスの便もあるのだが、やはり、タクシーをなるべく安く借り切るのが、自由な足代わりとしては一番便利と言えるだろう。
 先ずは、当夜の宿泊場所の確保である。エコノミーなホテルまで案内して貰い、ホテルに荷物を置いた後は、再び夜に戻ってくる迄の間、終日の借り上げとして、確か500元(約6千円位)だったか・・・。
 先ず、初日には、タクシーを足代わりの利用で周辺に広がる名所旧跡の観光スポットを巡り、翌日には西湖を中心に散策してみることにした。

 翌朝、チェックアウトを済ませると、すぐホテルの裏手になる小高い宝石山の山頂を目指した。ふもとからの高さでは、せいぜい4、50メートル位だろうか。大した高さではないのだが、山頂には、何処からでも目につきやすい高さ45メートル程の6面7層の煉瓦造りの塔がそびえ立っている。
ここには、1000年以上の前から立っていたものが幾度かの破壊と再建が繰り返されて、現在のものは1933年に再建されたものだという。
山頂からは、市街や西湖、更には銭塘江や銭塘江に架かる大橋までが一望できて素晴らしい。
 一時の休息の後に西湖に下りると、船頭の小舟に誘われるままに島にも渡ってみることにした。
 西湖は、杭州駅から西へ約2キロと少々の位置にあり、面積約5.6平方キロ、湖周約15キロ、水深約1.8メートルで、昔から漢詩にも詠われてきた風光明媚な美しい湖だ。代表的な箇所については、"西湖十景"として知られている。
湖上には、趣向を凝らした遊覧船が往き交い、また、ゴンドラ様ののんびりした船頭付きの小舟にも情緒が漂う。
島に上陸すると、幾つかの橋で仕切られた池や、茶店や花壇もある。
湖面に浮かぶ島から島へ、或いは、堤防の通路へと連なる幾つかの橋には、日本昔話の竜宮城の中から出て来たような趣があり、絵に描いたようなシルエットが美しい。
特に、夕暮れ時に刻一刻と表情を変えていく情景というのは印象的な美しさと言えるだろう。
昔からこの地を愛して来た人々の悠々の歴史や息づかいの余韻が感じられるようでもある。
 表記のサブ・タイトル "上有天堂、下有蘇杭" というのは、「天上には極楽あり、地上には蘇州、杭州あり。」という意味である。中国では、昔から屈指の景勝の地として讃えられてきた地でもある。

 只、私においての今回での大きな心残りとしては、想定外の突然の旅行でもあったので、カシオのデジカメ以外には、ビデオやフィルムでのカメラの用意がなかったことが何とも残念であった。

そろそろ、前回16話の続きも更新しなくては、とも思っているのですが、なかなか時間的なというか心理的なというか余裕がなかったようでしたので・・・。
来週辺りにでもとは思いますが、取りあえずの時間つぶしに・・・。過去の中からのリバイバル掲載ということで再掲載してみました。時期的には、96年12月頃の内容で、現カミさんとの中国での婚姻手続きの完了を受け取りに足を運んだ機会ということになります。
この時に一緒に旅行したリンダ(ニックネーム)も、今やオランダでの生活・・・。
カミさんの方からは、たまに電話を入れることもあるけど・・・。
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